2011年3月アーカイブ
昨晩、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしました
泊まった宿も、本当にのんびりさせてくれるところで、朝食も8時から
朝風呂に入り、それでもまだまだ時間があります
散歩コース40分・・・これはさすがに諦めましたが、みんなでゴロゴロしました
本日の予定は、ただ帰るだけ
帰り道に1カ所「松本城」を見学
天守閣にて、サムライのように安座し、殿様気分のスミに対し、天守閣から見えるお堀の白鳥に気を取られるミオ、このお城は誰が建てたのか歴史に興味が出てきたハルと三者三様でしたが、皆それぞれ楽しんでもらえたようです
まぁ、3人とも一番興奮していたのは、お堀の大きな鯉がパクパクと口を開けて近づいてきたときですが・・・
各SAにて、散歩とつまみ食いの1日となりました
大地震から2週間以上が経ち、日本国内のそのほとんどのイベントが中止、また生活環境も全てにおいて自粛
被災地、被災者の方の事を思えば、至極当たり前のようですが、普段の生活バランスが崩れ、被災地以外の社会が後々大打撃を食らうのも時間の問題という局面も心配されます
春休みの中、青森行きを断念した我が家は、家族みんなでいられる時間を大切にと、1泊旅行に踏み切りました
なんの予定も立てず、ただ旅館で広いお風呂につかるだけののんびりコース
被災地への支援や思いやりをしっかり保ちつつ、私達はいつものように世の中をしっかり回していかなければなりません
実のところ、計画停電等で日常さえうまく回せない所もたくさんありますが・・・
1人の笑顔がみんなの笑顔になる!被災地以外の方が自粛自粛で暗いようでは、日本は明るくなりませんよ!
本日は、県内で津波の被害を受けた旭市飯岡へ、災害ボランティアへと行ってきました
県内の青年神主さんが、本日より3日間(私は本日のみ)被災地の片付け等復興に協力をしようと集結しました
旭市の社会福祉協議会では、災害ボランティアセンター(緊急)を設置しております
本来であれば、ここで受付を済ましてからの活動となるのですが、本日は雨天の為中止
この報告も、今朝の発表だったのですでに現地に向かっている方も多数
とりあえず、被害の甚大な場所にて住民の方と片付けをしました
岩手県、宮城県、福島県と報道がある中あまり大きく取り上げられませんが、茨城県をはじめ千葉県の浦安市や旭市も相当な被害があります
総勢20名での作業でしたが、5件ほどのお宅でのお手伝い
それも、全てが終わったわけではありません
1日も早い復興をと思っておりましたが、現実はまだまだ先が見えない状態
また、お手伝いに行きます!
*ボランティアを希望の方は、かならず旭市社会福祉協議会にて受付登録をして下さい
以前から、拝殿の床下の点検をお願いしていたのですが、先日の大地震で向拝柱が外れた、境内内の摂末社である住吉神社の応急処置を、織戸社寺工務店さんが応急処置として組んでくれました
繫紅梁(つなぎこうりょう)と向拝柱の台輪が破損しているのもあり、あくまで組んだだけですが、以前よりはマシです
蟇股(かえるまた)もちゃんとはめ込まれたので、だいぶ古いお社ですが、昔の職人さんの腕の良さが伺えます
県内の神社でも、鳥居が崩壊したり、灯籠が倒れたりと沢山の被害が出ております
しかし、その撤去や修理に関してはやはり専門の方にやっていただかないといけませんし、まだまだ余震が続いておりますので、しばらくはそのままにしているところがほとんどです
震災時より、神社仏閣にお参りなさる方も増えております
神社関係者も危険である場所等においては、立ち入り禁止等の看板や三角コーンにて対応していますので、何卒ご理解を頂きまして、お気を付けてご参拝下さいますようお願い申し上げます
3月の終わりに、「はやぶさ」にて青森へと予定をたてていましたが、大地震にて残念ながらキャンセルとなりました
物理的に新幹線の復旧の見通しがないこともありますが、今旅行という訳にもいかないので・・・
しかし、春休みも困ったものです
我々も行事を自粛しておりますが、ハルを始め子供達には酷な日が続きます
ガソリンの需要もそろそろ慌てなくなるとは思いますが、いまだ長蛇の列
小学校に入り、土日の過ごし方(ほぼ仕事)で、ハルには相当我慢してもらっているので、何とか春休みにと計画をたてていたのですが・・・ゴメン、ハル(スミ&ミオ)!
成田でも、ガソリンスタンドは底をついたり、何時間も待ったり、コンビニやスーパーでは品薄状態となっています
余震は続き、被災地の様子(兼務神社にても灯籠が倒れ、鳥居が崩壊しています)が気になり、何かしなければならないという歯痒い気持ちもありながら、それでも普段と変わらぬ生活は送らなければなりません
すぐさま協力できる義援金をひとまず送り、次に自分ができる事をやるだけ
所属する各団体からもたくさんの要請が来始めました
夕方、スミ&ミオの保育園へいつもは車で迎えに行くのですが、本日は歩いて行きました
片道約20分、近道の成田山の中を通って行こうとしましたが、灯籠などのある場所等は地震の影響で立ち入り禁止の看板
結局普通の車で通る裏道を歩いて行くことに・・・
帰りに、万が一のことを思い、スミに
「帰り道はスミが案内してちょうだい」
というと、ちゃんと神社までの道を覚えているようで一安心
13日に東京電力より、計画停電実施にむけたグループわけと時間帯が発表されました
自分の住んでいる地域のグループが第何グループか知りたくても、地域の東電はもちろんのこと市役所に電話は通じず、Webサイトも相当の負荷がかかっているために、全くアクセス出来ませんでした
もしやと思いテレビの「Dボタン」を押すとおおまかなグループ分けが載っていました
とりあえず成田は第3グループ
1日を通して3度の停電予定
その時はまだ詳細を知ることが出来なかったので、どうしたものかと思いましたが、この状況ですとこれくらい当たり前かと思っておりました
その後(夜遅く)詳細がわかり、第3グループ(成田市は1、2、3、5グループに分けられているようです)は昼過ぎから夕方までと判明
本日はいつも以上に節電に努め、結局停電にはなりませんでしたが、ウチに帰ってきてからも真っ暗になるまで外でみんなで過ごしました
チビッ子等も小学校や保育園で、節電について言われたらしく、理解してくれているようです
昨日の大地震より、成田でも一晩中余震が続き、いつもより厚着をしてみんな一緒に横になりました
朝になり、三陸沖の被害地の危機的な状態に心を痛めながらも、神社へ出社こちらも被害の確認や後片付けにおわれました
神社の方は摂末社の向拝柱が外れ、石造りの小さいお社は、台座からかなりずれていました
また、社務所の周りを囲む石組みがいくつか崩れていました
1日を通して、他の皆さんも大変なことになっているのにもかかわらず
「神社は大丈夫か?」
という確認の連絡を沢山頂きました
ありがとうございます
近隣の被災地(神社)では、鳥居や灯籠が倒れているとの連絡がありました
今こそ、みんなで力を合わせ被災された方への支援、復興に協力をしていきましょう
長いようで短かった研修も本日で修了となりました
昨年の夏に引き続き今回の研修も中身が濃いものとなりました
お昼過ぎ、受講生のみんなに挨拶をし、大洗磯前神社に御礼を兼ねて参拝
画像は、その時の青空
一路、成田の地へと車を走らせました
14時30分には、社務所に着きカミさんと研修中の話をしていると、46分頃大きな揺れを感じました
直ぐさま外に出て、待避
時計を確認すると、ハルの下校の時間
小学校も気になったので、急いで小学校に走りました
行く途中、不安そうに歩いているハルを見つけ、とりあえず一安心
神社で待っているように伝え、小学校に急ぎました
下校の早い1年生は、校門の前にて集まっていました
先生方とグラウンドに移動、まだ授業をしていた2年生以上の子達も、校内からぞくぞくと出てきました
大きな余震が続き、下校もだいぶ遅くなったのでご家族の方もだいぶ心配されてことだと思います
生徒の確認が取れたようなので、神社にいったん戻り、今度はスミ&ミオを迎えに行きました
途中町の中は瓦が落ちたり、壁がはがれていたりと、地震の荒ましさと恐怖を感じつつ、保育園へ
お昼寝の最中だったようで、パジャマの上から着替えをし待避していました
久しぶりの対面に、このような状況だったので、涙が出そうになりました
帰りは家の様子も伺いながら、区内を車で一回り
古い瓦屋根は、かなり落ちていましたが、倒壊等は大丈夫のようでした
地震の情報をと思い、テレビをつけると目の前には信じられない光景が・・・
本日の朝、禊ぎをしていた大洗の地も、津波にのみ込まれていました
被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げますとともに、皆様の無事、1日も早い復興をお祈り申し上げます
中堅神職研修会第4日目を迎えました
本日の朝の禊ぎは中止
西の風にてキケンであるとのことです
本日の講義は
「社頭講話」と「神葬祭」
神葬祭(神道式でのお葬式です)
江戸時代には寺請制度があったため、現在でも全国では仏教でのお葬式がその大半をしめています
しかし江戸時代も半ばになると、国学者による神道(神葬祭)の研究が行われ、我が国固有の葬儀のあり方を見直す動きが起こり、神職とその嫡子に限って神葬祭が許可されるようになり、明治時代にはいると、一般にも神葬祭が許可されるようになりました
神主さんの家でも、江戸時代に「別当のみ許可する」(吉田家や白川家より裁許状を得る)以外の神主家はお寺にて仏葬ということもあったのです
本日の講義は、地域によって多少異なる神葬祭(本義は一緒です)について、大変参考になりました
画像は神主さんの家でお葬式になったときの喪主の正装と云われているものです
(普通の装束は正絹や綿、現在は化繊などが多いのですが、こちらは麻の装束となっています)
中堅神職研修会第3日目
今日も海は痛かったです・・・
講義の方は
午前中「和歌」
午後「水戸学」
と一日中古典や歴史となりました
神主さんの奏上する祝詞は、おおよそ大和詞にて作成します
その為、古典文学等にある程度通じていなければならないのですが、なかなか触れることがなくこの研修にてみっちりやることとなりました
学生時代から苦手な古典でしたが、神主になったせいか歳をとったせいか、いつもならコテンと目をつぶってしいそうになる(これは歳をとったせいか・・・)ところを、楽しく勉強できたと思います
水戸学についても、幕末の尊皇攘夷の時には水戸藩として名前はあまり出てきません(藩内部でいざこざがあったから?)が、きっかけとなったのは水戸学であることはあまり知られておりません
いつも思うことなのですが、何故もっと若いときに勉強しなかったのか・・・
でも、今こうして学べるというのもありがたいことです
*画像は水戸学の弘道館記
中堅神職研修会第2日目
しかし気温はかなり低く、研修日の一日の始まりの禊ぎにはちょっと寒すぎるくらい
褌一丁で鳥船行事(海に入る前に体を動かす行事)を行い、寒さも少しは感じなくなったところで、いざ海へと足を入れると、冷たさではなく身の危険を感じる痛みを感じました
それでも道彦(禊ぎ行事の先導を行ってくれる方)の先生はどんどん奥へと入って行くではありませんかっ!!
いつもより大祓(海に入りながら奏上する祝詞)がかなり長く感じられました
ガチガチになりながら無事終了、浴槽へ浸かることが出来たのが何より・・・
しかし、体が冷え切っているため、暖かい浴槽に入っても何故かそこでもヒリヒリと痛みを感じるのでした・・・
本日より、金曜日まで一都七県中堅神職研修会に参加のため、茨城県は大洗の地にきました
朝家を出たときには雨だったのですが、研修開始にあたり大洗磯前神社にて開講報告祭を行っている最中、雨は雪へとかわっていました
どうりで寒いはず!
明日は晴れるそうですが、気温は限りなく0℃だそうで、それでなくてもこの一面の雪を見た受講生は明日の朝一番の禊ぎ(褌で海に入ります)が心配になりました
研修でなければ、この大洗の地で「どぶ汁」を食べて暖まりたいものです・・・
夕方、大洗磯前神社へ夕拝(ゆうはい=夕方祝詞や明治天皇御製を奉唱したり、国旗の降納を行います)のためにロビーに集合しましたが、そこでアンコウの解体をしていたので、横目で見ながら通り過ぎるだけでした
5日間、アンコウの誘惑に負けずに頑張ります!
画像は行きに撮った大洗マリンタワー
神社の裏山には杉や檜、榊等の植物が植えてあります
こちらの檜も樹齢約30年くらいでしょうか、直径25センチメートルほどに成長
用材として使うにはまだまだ先の話ですが、いつの日か神社の改修等で使われることでしょう
檜も幾度か脱皮?をして表面の皮が強くなって行くみたいです
そして檜皮葺に使われる檜は樹齢約70年以上のものが使われるそうです
檜の立木の減少と檜皮採取の原皮師(もとかわし)の著しい減少(危険でキツイ仕事)の為、檜皮葺建築はその美しい姿を銅板葺(これはまた職人芸なのでスバラシイ!)に変えたりと余儀なくされています
用材に使われる木などは、自分が生きている間にはもちろん伐採することなく、その後何代にもわたってやっと使われるものばかりです
目先だけの人生も自分の人生、されど次に伝える人生感も失ってはいけません