埴生神社の様子
 

残された家族を思うと

20191109.jpeg本日は死について考えさせられた1日となりました

午後、自ら命を絶った方のお家のお払い、夕方はご家族に看取られて亡くなった方のお通夜

いずれもご家族が悲しく寂しくなさっていたのは同じ

生きている間は、こうであって死にたい、あぁいった風に死にたいと、死ぬ為に理想があったりしますが、そういって亡くなっていく方ってどのくらいいらっしゃるんでしょうね

我が生涯に一片の悔い無し!と死の瞬間に自分がそう思えれば、それはそれで良いのでしょうか?

それとも、自分が死んでしまったら、自画自賛さえ出来ませんので、家族にいい人生だったな!と思われるような生き方が理想なんでしょうか?

生きた証として死が待っているのか、死ぬためにひたすら生きているのか、こういった機会に改めて考えると怖くなります

2021年10月

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