平安時代、貴族が高床の建物で生活をしているなか、地方の農民はまだまだ竪穴式住居などに住んでいました
この郷部も大変古い土地であるため、畑の中から土器が出土されたり、神社においても社務所建設の際に、鉄剣や土器等多数出土したのもあり、昔から人々が生活していたとされておりました
今回出てきた遺跡も、ほとんどと言っていいほど深く掘っている訳ではありませんが、確認されているだけでも13軒の住居跡や土器などが出土されているそうです
そういう意味では、コンクリートやアスファルトで隔てられただけで1000年以上前の人達と同じ大地を踏みしめていると考えただけでも、このあたりの土地がいかに生活しやすかったのかが伺えます